歴史
庵治石の歴史は非常に古く、足利尊氏が征夷大将軍になった頃、1339年京都府八幡市の石清水八幡宮再建の頃までさかのぼります。
この八幡宮の再建にあたり、平安末期から南北朝、室町時代にかけて、庵治石産地近郊が石清水八幡宮の荘園であったとされていることから、「庵治石」を使用したと古文書に記されています。つまり、庵治石は平安時代末期から採石使用され、遠くは京都まで送り出されていたと言うことであり、およそ1000年の歴史の中で注目を集めていたと言えます。また、当地域での庵治石製品加工の発祥、工法作品等斬新的なうつろいは1804年の屋島東照宮造営の頃と言われています。
明治
この頃から「庵治石産地」としての基礎づくりの時期となったようである。
当時の社寺建築、供養塔等に数多く見られる石造物と彫刻物は、注文を受けた石工が自ら山へ足を運び、原石を採掘加工していたが、時代の発展とともに採石と加工が次第に分業化され、丁場師と呼ばれる山石屋と、仕立師と称される加工石屋とに分かれて現在に至った。
大正~昭和初期
「庵治石」発展の時代だった。花崗岩の中でも特に硬い「庵治石」を見事に製品化する技法を得た石匠がその技によって刻みあげる石彫品は「庵治石」とともにその名を全国に輝かした。
戦後
苦しい時代だったが、食糧事情も徐々に緩和され一般庶民の生活もようく安定し始めると、それと共に灯篭、墓碑等の要望も増加していった。昭和35年頃になると石材切削機が作製され従来の石材加工に大変革をもたらした。更に研磨機、切削機ともに自動化が図られるようになり石材加工業の製品過程に専門分野が考えられるようになり、必然的に著しい技術改良が進んだ。
現在
石質の素晴らしさだけではなく石匠が年月を経て身につけた優れた技術と相成り、国内だけではなく、世界に広く知れわたり、高い評価を受けている。
特徴
特徴1・きめの細かな地肌である。
花崗岩の主成分は、石英、長石、雲母だが、庵治石にはこれら1つ1つの結晶が小さく、細粒花崗岩という種類にはいる。
細目(こまめ)は、小さな黒雲母の数が多く、磨けば青黒い細かな紺がすりのようになる。その上、最大の特徴の「斑(ふ)がうく」という現象があります。 これは、指先で押さえて、湿り気やうるおいを与えたようなまだらな模様であることで、石の全面が2重のかすり模様を見せる。長石、石英には種々の色があ る。庵治石は、それが薄い青色になり、少量の白雲母が混ざっているので、銀粉を吹いたように輝きを見せるものもある。
中目(ちゅうめ)は、黒雲母の粒がさらに小さく少ないので細目よりは白く見える。
特徴2・他の花崗岩に比較して硬い
▼細かな彫刻が可能
石英、長石、雲母などの結晶が小さく、その結合が緻密なため。
▼水を通しにくい
緻密であるから、水を通すことが少ない
▼磨けば磨くほど艶が出る
粒子が細かいので、磨くほどに輝きを増す。
▼文字を刻んだ時、見やすくよく映る。
青黒く、紋様が細かく、磨けば艶がよく出るので、文字を刻んだ時の見栄えがよく、文字を一層引き立てさせる。
もともと石で塔などを造るのは、強くていつまでも変わらないからである。この点、花崗岩は他の石に勝るが、中でも庵治石は、この点においても優れている。
花崗岩はそれを構成している石英や長石などの膨張率が違うので、結晶の間にすきまができやすい。長い年月の間には、風化されて各部が離れて崩れてくる。庵治石の場合は結晶の各部が小さく、従って膨張や収縮による変動も少ないので、目の粗い花崗岩よりも風化には強い。
以上のことから庵治石は、墓石として特に珍重されている。